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制作秘話 33

《其の三十三》

平安時代は本当に和風?  というお話。

現在私たちが「日本の伝統文化」と思っているものには、おおよそ三つの成立時期があります。

ひとつは平安時代半ばから後半の「国風文化」。
ひとつは室町時代のわびさび書院造り「東山文化」とか、続く安土桃山文化。
ひとつは明治時代学校教育によって広まった道徳で、基本は江戸時代の武家から政府高官になった人達。

最後のは、たとえば極端な男尊女卑や純潔貞操、時間を守るといった概念は明治時代の道徳にあります。江戸時代の寺子屋では、男女に向いた役割を教えただけで、儒教の影響はあっても、さほど極端ではありませんでした。

そして、根幹をなすのは室町時代にほぼできた生活様式。畳敷き、ふすま、障子、着物の形や着方。年中行事やお祭りも、このころから江戸初期にかけて定まりました。

それ以前、平安時代にできたのは、感性です。それは古代から受け継がれてきたものでもあり、大陸の文化と比較した上で、あらためて見つめ直したというかんじでしょうか。

こういった文化の最先端の担い手は、政治的な指導者でした。
平安時代なら貴族ですね。
平安時代の和風は、たとえば「言霊(ことだま)」とか、縁起とか、けがれとか、感性に依るところが大きいのですから、生活様式はまだ、私たちが「日本的」と考えているところとはずれていました。
ただ大陸的な生活様式と、道が分かれたということはできます。


具体的に、源氏物語の中に出てくる生活を見てみましょう。
まず、寝台、つまりベッドで寝起きしています。御帳台(みちょうだい)です。ちなみに女房たちになると床にごろ寝です。
寝台の周りにはカーテン……壁代(かべしろ)が巡らされています。

扉だって、横への引き戸よりもまだ、ドアが主です。枢(くるる)という軸で回転し前後へ開く扉です。窓は上に開けて、フックでひっかけます。
そもそもフローリングで、畳はまだありません。しとねという座布団みたいな、でも綿の入っていないござを敷いてます。薄縁(うすべり)というござカーペットもありますね。

草履はありましたが、鼻緒がないサンダルタイプもありました。足の親指が別になった足袋がまだないので、鼻緒のある履き物は裸足で履きます。
貴族の男性は靴を履いてましたし。しとうずという靴下もありました。椅子もありましたし。

そういえば、お箸がやっと使われだしたんですよね。でもまだ、だいたいはスプーンと手づかみ。古代には日本にもフォークがあったんです。その後廃れましたが。もともと古代のお箸は竹のピンセットみたいな形だったと考えられています。

平安時代になくなって、これぞ「ない」のが日本、と思えるのが、アクセサリーです。ブレスレット・指輪・ネックレス・ピアスがなくなり、髪を結わなくなったのでかんざしの類も、いったんほとんどなくなりました。

そして、平安時代に正座の習慣はありません。室内では女性も片膝を立てたあぐら姿勢で座ったり、寝そべったりしていたのです。
なお、室内では、特に改まった場では、立ち上がって歩くのではなく、膝で進んでいたようです。

乗り物だって、京の中では車(牛車・ぎっしゃ)です。土が軟らかく、土地が平らではない日本では、けっきょくあまり普及しなかったのが、この「車輪のついた乗り物」でした。日本で一番速い乗り物は、船、だったのです。


それから、これが気になっているけれど、文中に書けない……のがトイレ。
どうしていたと思います?

清箱(しのばこ)などと呼ばれる、おまる、でした。庶民は原始の時代から川など、水に流すのが習慣で、じつにこの「水に流す」が日本的なのですよね。しかし、住んでいる建物が大きくなって、貴族が簡単に外へ出られなくなると、大陸やヨーロッパもそうですが、おまる、ということになります。

すると、必要がないのでトイレがなくなっちゃうんです、建物の中に。ベルサイユ宮殿にもトイレがないってよく聞きます。日本でトイレがないのは、平安貴族の寝殿造りくらいだと思いますが。お寺にはトイレスペースがあります。

ともかく、トイレは室内の一画を几帳で仕切りまして、長い髪を衣ごとかけるバーをおきます。そこに髪と衣をひっかけ、おまるで用を足すんです。専属の係の者が運び、専属の下働きの者にそれを捨てにいかせるんです。

だから、1巻に出てきたように、汚物を廊下にまく、という意地悪が簡単にできるんですね。「耐えがたき」ことに衣の裾が汚れるって、源氏物語の原文の通りなんですけど。

お風呂というか行水も洗面も洗髪も、すべて水を容器に入れて運ぶ、ということになりますから、そんなにたびたびは身体や髪を洗えないんですね。顔は毎朝洗ったようですが。歯磨きもしましたし。

それで、くさいのをごまかすために、香道が発達したというわけです。今あの香りを感じられるのは、高級なお線香ですね。けっこう香りがしますよね? もちろん、白檀とかのお香を買ってきて、お皿の上で火をつけ、たいてもOKです。私も執筆するときにやってみました。

お香は、もっぱら衣に煙をしみこませて使いました。室内を仕切る布類、紙にもしみこませたようです。室内で煙をたきすぎて「富士山の噴火みたいだ、何やってるんだ」と光源氏が叱るシーンが、かなり物語の後の方ですが、出てきます。

かぐや姫(竹取物語)のラストもそうですが、平安時代は富士山が煙を出していたと、しのばれるシーンです。富士山は、最後の噴火から今年で300年になるそうです。


おまけ。
「あさきゆめみし2」には、「葛城」という催馬楽(さいばら・平安時代の歌謡曲)が出てきます。
北山でのお花見のシーンですね。これは原文の源氏物語に、ここで歌ったと指定されている歌です。

私は、源氏物語より古い資料として、スタンダードナンバーの歌になった「日本霊異記(りょういき)」あたりを選んだのですが、元は「続日本紀(しょくにほんぎ)」にあるそうです。「日本書紀」の続きですね。

そちらだとまだ、政治関連の風刺である流行歌の姿を留めていて、「榎葉井に白玉沈くや」ではなく「桜井に白壁(しらかべ)沈くや」となっている――白壁とは、光仁天皇です。奈良時代、未婚の女帝称徳天皇には子どもが無くて、後継者になったのが奈良の都の南の桜井に住んでいた白壁王だった、そのときのことらしいですね。

西暦だと770年、ということになります。源氏物語が書かれるまで230年あまり。歌の寿命が、長かったんですね。

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